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さて、無事に鹿児島へ戻り曳家職人としての道を歩みだし、社会人生活にも慣れてきた頃。
やっぱりくるんですね。
お誘いが。
ラグビーの。
当時、社会人リーグの1部のチームに鹿児島工業高校ラグビー部の先輩たちも多数属していました。
当時甲南クラブという強豪チームに所属する先輩から
「鹿児島帰ってきたならラグビーせんか!」とプレッシャー。
「もう一年以上まともに動いてないので走れないっすよ。」と僕。
そんな僕に大先輩のサラッと一言。
『大丈夫。走り込みから始めるから。』
『・・・・・。。。』
鬼だ。なぜ大人になってまで趣味で走りこみせねばならん。
いやだ。キツイの嫌だ。怒られるの嫌だ。怖いよー。。。
高校でお腹いっぱいになたラグビーを大学でも4年間やり、本当にお腹いっぱいだった僕はもうラグビーをするつもりは全く持ってありませんでした!
なんとか鬼のような大先輩の誘いをマタドールのように華麗にかわし、1部リーグ所属のお話は消滅しました。
ホッと一息。
その後土曜日は朝方まで遊び呆け、日曜日は昼過ぎまで寝る。
絵に描いたような若者のぐうたら生活を送っていました。
そんな生活の中、当時の趣味といえば車。
社会人になって自分で稼ぐようになると、当然欲しくなるのはカッチョいい車です。
そもそも親父が車やバイクが好きだった影響もあって昔から車やバイクを眺めては自分が乗ってる妄想をしてましたw
憧れの車はエルビス・プレスリーが乗ってたピンクのキャデラックとハーレーダビッドソン。
実は私、昔っから50’sやアーリーアメリカン大好き。中学校の頃からロカビリー聞いてまして、プレスリーのピンクのキャデラックにいつか乗ってやろうと思ってました。
ハーレーも同様に、いつか裸に革ジャン着て角の生えたヘルメットかぶってやろうって思ってましたねw
働き出したら金貯めて、キャデラックかインパラ乗りてーと思ってました。
そして当時心奪われたのがハイドロリクス。
ハイドロリクスをご存知ですか?
日本語で言うと【油圧】
車のサスを油圧ジャッキに変えて、スイッチで動いてピョンコピョンコ動くあれです。
ホッピングという車の前輪を弾ませて高さを競う競技があることも知り、『いつか車飛ばしてー!』と大学時代から憧れてました。
でも現実問題お金はない。
アメ車って高いんですよ。しかもハイドロも金かかるんですよ。
そしてあまり目立つと『大城さんとこのドラ息子、アメ車乗り回してチャラいわねー。」みたいに思われると会社のイメージダウンということで、ド派手なアメ車は固く禁じられました。
ではどうするか?
国産車でしかも車検切れの車をもらってきて、ハイドロだけ組んでイベントで飛ばす。
そんな遊びにはまりました。
会社の置き場には溶接機やら工具やらありましたので、夜な夜な車好きの友人と集まり、(一応社長の了解済みで)夜中まで車イジリに没頭しました。
仕事終わってすぐ置き場に行って、夜中に帰ってまた仕事。
そんな生活で体力的にはキツかったですが、まー楽しかったですね。
そして何度かイベントに行ってたとき、ホッピング大会の司会者が車のこと全然知らずに、そのまま進行するもんだからまー盛り上がらない。
誰か車詳しくて喋れる奴いない?ってな感じでなんと私に白羽の矢が立ち、イベントMCをさせていただく事に。
初めて自分の仕切りでコンペした時は緊張しましたねー。
しかも、ローライダー諸君。テンション低すぎw
言うこと聞かない。
こちらの問いかけ無視。
不良どもめ・・・
それでもめげずに頑張りました。
目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋の僕。
今たまに出させていただくテレビやラジオで緊張しないのはイベントMCとして精神を鍛えられたおかげですw
現在はかっこよさより使いやすさ、車に無駄な金はかけられないのでノーマルで乗ってますが、いつかキャデラックかインパラのコンバーチブル(オープンカー)乗りたいなーとか淡い夢を抱いてます。
所ジョージの世田谷ベースみたいな生活したい・・・
つづく