社長ブログをご覧いただきありがとうございます。前回のお話【第7話】はコチラ
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大学入学してラグビー部入部後即レギュラー獲得し、即補欠に転落した私。
理由はいろいろあります。
簡単に言うと、なめてたんです。大学ラグビーを。そして気持ちが入ってなかったんです。
高校では水も飲めず、地獄のような日々を過ごしていたので正直お腹いっぱいだったんですよ。ラグビーに。
そもそも大学ではラグビーではなく、実はアメフトがしたかった!
そしてドラマのような華のある大学生活を満喫したかった!
甘かったね。
あー、甘かったね。
現実は授業もまともに出ず、夕方からのラグビーの練習を終え、バイトに行き、朝方帰ってきてから昼過ぎまで寝て、またラグビーに行く。
THE ぐうたら大学生してました。
毎日パチンコしてラグビして夜は飲んでました。
お父さんお母さんゴメンナサイ。
今思ってもあれほど時間を無駄にした日々はなかったなぁ。。。
あの時今の感性があれば、もっと色んな事やってたなぁ。。。
TIME IS MONEY
時間とお金は失ってから価値に気づく。。。
そんなグウタラ生活の中でもそれなりにラグビーは頑張っておりまして、毎年夏になると大分県の湯の平へ合宿へ行くのですが、その時ほぼ合同合宿と言っていいほど練習と試合をともにしたのが当時九州一部リーグでバリバリの福工大。
その時同じ学年にいたのはなんと
ラグビートップリーグ 東芝ブレイブルーパス 冨岡鉄平ヘッドコーチ
練習試合でこの人にタックル行ったら見事に吹っ飛ばされたんですけど、その時の衝撃と言ったらですね、ほんとに車に轢かれたかと思いましたよ。
首折れたんじゃないかって思うくらい。全身の骨が「バキバキバキ」ってなりましたもん。
当時からプレーが際立ってましたね。トップリーグ東芝府中へいってキャプテンやってヘッドコーチにもなるのも納得。
そんなこんなで冨岡鉄平ヘッドコーチは毎年鹿児島合宿に来ていた関係もあり、今でも親睦があります。忙しい人ですからね。僕みたいな下っ端とは飲んでくれませんがw
と、また話が逸れましたが、グウタラの割にはラグビーだけは九州学生一部リーグ昇格を目指して一生懸命やってました。
当時は今とは違い、痩せてましたしね。
僕たちの学年、なんと4人だったんですよ。15人でするスポーツなのに4人。
まさかの4人。されど4人。一年生の時は4人で雑用頑張りました。そのおかげで絆は深かったですね。
1年の時はチーム全体が遊び人の集まりのような感じだったので、口では一部昇格とか言ってましたが、私生活はぐちゃぐちゃw先輩たちに遊びに連れてってもらう毎日をエンジョイしてました。
夜中の1時に「今からラーメン食い行くぜ!5分で準備せろ!」って言われて北九州から博多までラーメン食いに連れて行かれたりw
それでもそこそこ強かったんですよ。練習もまあまあで意外と勝ててたんですよ。
一年生で迎えた初めてのリーグ戦は2位。入れ替え戦で負けて2部残留という成績でした。
2年生になった頃、散々遊び人だったキャプテンが一念発起、真剣にラグビーと向き合い出します。
勝つために体力作りも含め、練習メニューはキツくなり、キャプテンと副キャプテンが今まで散々不真面目だったのに急に真面目になりだしたもんだから、周りの先輩たちとの温度差でいろいろ内部紛争がおきましたw
真剣にラグビーしながらもやっぱり遊びたい人たち。でも次第に真面目に取り組む姿勢に心を打たれてか、チーム全員で真剣に一部昇格にむけて取り組むようになりました。
それでも急に真面目になったからすぐ勝てるか?といえばそうでもなく、結局その年はまたリーグ戦2位、入れ替え戦負け。その翌年も、同じ成績でした。
毎年2位の九共大。自分たちが4年生になった頃、チームの空気は本当に1部昇格を狙いに行っていました。
4年生になってからの自分はスクラムの最前列でスクラムをリードする「フッカー」というポジションを任されており、スクラムリーダーとしてFWをまとめていました。
そんなこんなで最後のリーグ戦、一番の山場となるであろう試合の日です。対戦相手は沖縄国際大学。
これに勝てば残りの試合は間違いなく勝てるという状況だったので、リーグ優勝間違いなし、入れ替え戦は1部の最下位と戦うので勝てるであろうシチュエーション。
やっちゃいました。僕。
試合前日、軽めの練習で早く終わり、時間が余ったもんでパチンコ行ったら勝っちゃって、調子に乗って夜行きつけの居酒屋行ったら飲みすぎて、試合当日寝坊です。
そしてさらに二日酔いの体調不良です。チームメイトからの冷たい視線に心もズタズタです。
そんな心持ちで試合に出ても、うまくいくはずがない。試合中にミス連発。
惜しくも敗れました。。。
そんな迷惑をかけたので当然干されました。次戦はベンチでスタメン出場できないとなり、開き直った僕は試合前夜、反省の色なくベンチ入りしてない後輩を部屋に集めて夜中まで麻雀。
それが試合当日キャプテンに発覚。
同級生のキャプテンから、「お前ふざけんなや。二度と試合出さんからな。」と言われ、素直に謝ればいいものを、
「おう、わかった。」と反省の色なし。心の中で「なんや!偉そうに。」と思ってたんですね。
今思い返してもサイテーですね。自分が恥ずかしい。
我々のチームではキャプテンがメンバーを決めていたので、そんな事情を知らない監督は次の試合で「大城はなんで試合出ないんだ?怪我か?」みたいな。
後輩も「なんで試合出ないんですか?どこか悪いんですか?」
みたいな。
キャプテンに干されたのを認めたくないのと恥ずかしくてみんなに知られたくないのでしれっとしてました。
最終リーグ戦で突然抜けたスクラムリーダー。プロップの相方から「お前が出てくれんとスクラムがまとまらん。キャプテンに謝って戻ってこい」と言われても、変な意地があったんでしょうね。
放置してました。あの時、素直に謝ることができていたら・・・
その後メンバーの怪我やらで試合には出てたのですが、キャプテンとはギクシャクしたまま。
大学ラグビーの最後はなんとも後味の悪いものになってしまいました。
結局リーグ2位で終了、例によって入れ替え戦では惜敗し、2部残留という結果で大学ラグビーは終了。
その翌年、後輩たちが雪辱を晴らしてくれて見事一部リーグ昇格し、今では九州学生リーグのトップに君臨するチームに成長しました。今後の九州共立大の活躍を遠くから祈念しております。
その後キャプテンとも何と無く仲良くはしていたものの、ちゃんと謝ることはできず卒業を迎え、大人になって何年かぶりに飲んだ時、やっと「あの時はすまんかった。負けたのもすべて俺の責任だ」と謝ることができました。
せっかくできた絆を失うのも一瞬。楽しさと悲しさと悔しさの大学ラグビー生活でした。。。
つづく